掲載日:2011-10-26
私たちの会が他の障害者団体と大きく異なる点は「障害者問題」にとどまらず、
「社会保障」という広い視野で要求運動に取り組んでいるところです。
10/16(日)あいアイ館において学習会・「目黒区の障がい児保育の成り立ちと現在、そして未来」は、
社会保障の基本を学ぶ機会にもなったと思います。
講師は目黒区立保育園で保育士をされてきた丸山麻利子さんと、
同じく学童保育クラブ指導員の伊藤三枝子さん。
お二人とも現役は退職されましたが、現在も長年の経験を活かし、活躍されています。
目黒区は全国に先駆けて障がい児保育(統合保育)を進めてきました。
「保育園では1974年~、学童保育クラブでは1982年~ 統合保育がスタートした」となっていますが、
現場はそれ以前から障がい児を受け入れていましたし、保育士(指導員)が子どもの「障がい・病気」に気がついたケースもあります。
目黒区の保育レベルは全国的にみてもトップレベルといわれていますが、
保護者(母親)の切実な要求を職員たちが受け止め、制度化を進めた成果なのです。
◎ 障がい児の保育を振り返って・・・丸山さん
障がい児を保育園で受け入れての保育は試行錯誤しながらの実践。
専門家を招いての研修会も積み重ねました。
その子(障がい児)の発達に配慮しながら指導するのは当然ですが、
クラス全体の子ども(健常児)も関わりあいながら、みんなが育っていく保育環境を作ることが大切です。
担任だけでなく、園全体でその障がい児の姿、周囲の健常児との関わり合いや成長過程を伝え合ってきました。
職員だけでなく、保護者の方々にも、伝える工夫をしました。
政府は現行の保育制度を廃止し「子ども・子育て新システム」に変えようと検討を進めています。
この「新システム」にはいくつもの問題点がありますが、行政による保育実施義務がなくなり、
利用者が事業者と直接契約を結ぶことになます。
利用料は応能負担になります。(介護認定と同じく「保育認定」される)
つまり、保護者は働きながら小さな子どもを抱えて事業所(保育園)を探して回らなければなりません。
利用料が応能負担ということは「手の掛かる子・障がい児」に関してはオプション料金になるのです
(給食・おやつ・オムツ・アレルギー食の類)。
「障がい児」でなくても、例えば経済的な事情で「オムツ換えは1日○枚までにしてください」と言う保護者が出てくる可能性もあります。
保育時間も個別契約となるので「遠足」のような行事を実施するのはむずかしくなるし、
日常的にも登園時間が個々に異なると、集団保育ができにくくなります。
職員体制も子どもの契約時間にあわせ「非正規化」がすすみ、保育士の入れ替わりも多くなると予想され、
「保育の質」に影響が生じてきます。
事業所(保育園)も収益を上げるために、「手の掛かる子・障がい児」は受け入れなくなるという危惧があります。
「新システム阻止」に向けて、全国の保育関係者を中心に運動を広げています。
◎ 学童保育の歴史・・・伊藤さん
1960年代は、高度成長を支えるために「働く母親」が急増、更に核家族・ひとり親家庭の増加、交通事故が増えたり子どもの遊び場が減少、非行の低年齢化といった社会環境が悪化した時代でした。
子どもたちの安全や健やかな成長を願う親たちの要求から「学童保育クラブ」はつくられてきました。
保育園と学童保育クラブの違いは「入所は親の選択であるが、通所してくるのは子ども自身である」という点です。低学年の子どもで保護・養護を必要としているのですが、自分の意志で家に帰ってしまったり友達と遊びに行ってしまうむずかしさがあります。
目黒区では1968年にひもんや・中町に学童保育クラブが誕生。
指導員の常勤化、1クラブ3名の職員を配置。
公設公営の学童保育クラブには全て父母会があり、指導員とともに「目黒区学童保育クラブ連絡協議会」を作り内容の充実を図ってきました。
1982年に正式に「障がい児保育」がスタート。当初は「1クラブ2~3名まで受け入れる」というあいまいな点もありましたが、
1989年に障がい児を受け入れの基準が制定されました。(児童館併設学童保育クラブでは3名受け入れる。障がい児1名に対し1名、3名に対し2名の非常勤職員を配置など)
学童保育クラブは小3までとなっていますが、障がい児の親から「せっかく集団生活ができるようになったのに、
小4からの放課後生活はテレビづけになってしまう。延長できないだろうか・・・」という要求があり、
小6まで延長可能になりました。(小3まで指導員としか遊べなかった障がい児が、小4になった途端に仲間同士の遊びができるようになった例もあります)
学童保育クラブだけで「統合保育」に取り組むのではなく、併設している児童館でも「あそびのつどい・障がい児の遊びの場」を設けました。
(障がい児は登所の際、ヘルパーやボランティアに頼むケースが多くなりました)
保護者会主催のキャンプや区主催の連合スポーツ大会に、障がい児も自然な形で参加していると思います。
クラブでの様々な活動を通して子どもたち(健常児)の方が先入観なく「障がい」を受け入れているようです。
その子どもたちの絆は大人が思う以上に強く、成人しても続いていると感じています。
《まとめ・感想》
保育園にも学童保育クラブにも共通することは「保護者・利用者」の要求を受け制度ができ、
職員とともに切磋琢磨しながら内容を充実させてきたということです。
そして「保育」とは将来の社会を担う子どもの健やかな成長を保障すると同時に、
現在の社会の担っているおとな(保護者)の就労支援につながっていることを再認識しました。
現在の日本社会にはさまざまな問題がありますが、例えば「雇用」だけを取り上げて論ずるのではなく、「働ける環境作り」や「人材育成」など、広い観点と長いビジョンで考えなければいけないと思います。
フロアーから「マスコミは新システムの良い所ばかり報道して、全容を報道していない」との声が上がり、
かたよった情報しか知らなかったことを反省しました。
「制度・システム」は上から押し付けられるものではなく、当事者の要求から作り出すものでなくてはならないと、痛感しました。
最近ネットを使って会のお知らせを流していますが、今回は「目黒区学童保育クラブ連絡協議会」の連絡網(ML)でも宣伝していただき、障がい児の保護者だけでなく「学童保育クラブ」の保護者の方が参加してくださりました。
障がい児・者の問題を「みんなの問題」として勉強することができ、大変うれしいです。
ご協力いただいた皆さんに感謝申し上げます。