目黒区障害児・者の生活を向上させる会
ホーム >  たけのこ

小柴資子さんを偲んで ④  小林英樹

掲載日:2020-11-13




小柴資子さんを偲んで   深沢郁

掲載日:2020-11-13




「コロナ」な日々       運営委員編  

掲載日:2020-11-13



 

イイオさん

3月下旬から、日常生活が、新型コロナウイルスの感染拡大で大きく変わりました。

その一つ、障害者団体や目黒社保協の会議の持ち方が、三役会議になり、みんなで楽しく話し合う時間がもてなくなりました。そして、各種の行事が開催できないので、みなさんのさわやかな顔を見られなく、元気を吸収できません。残念!

その二つ、4~6月、「おおぞら=就労支援B型施設」では、利用者と職員の3蜜を避けるため、午前と午後の2班に分けての運営になりましたので、この高齢者も週1日の応援で通勤しました。久しぶりの8時間労働は、水槽のポンプの組み立てやコード線のシールはりなどで、とってもトッテモ疲れました。

その三つ、趣味の囲碁は、「碁会所の営業休止」「下馬老人クラブの囲碁クラブの活動休止」「囲碁部OB会の休止」です。まあ、このゲームは、濃密状態での対戦ですから、しようがないとあきらめ、「週刊囲碁」「囲碁の本」を読みながら憂さを晴らしています。

この間、体調は元気さを保ちつつ、「ワクチン」と「治療薬」が発明されるまで、辛抱強く暮らしていきます。会員のみなさんも、コロナに気を付けて生活しましょう。    

 

 

フカサワさん

外出自粛や在宅勤務が続き、家でぐーたらしないよう自分で目標を決めました。

1回につき10回のスクワットを13セット行うこと。

初めの1週間はきつくて10回やるのもフウフウ言っていたのがそのうち20回続けてできるようになると『なんだ~あたしって結構やれるじゃん』と思い、次は30回とハードルをあげて1か月。

ところがその後、左膝に異変が……。もともと膝痛があったので無理がたたったようです。結論、この年になったら無理しない!

 

それからは、篠笛、料理、絵手紙(イラスト風)と好きなものをやることにしました。

篠笛は今度、田舎に帰った時に母に「うまくなったね」と言われることが目標。

料理は新しいレシピにチャレンジ。イラストを描いたら友だちにラインで送ること。

楽しいことをひとつずつ増やして、好きな人たちと会える日を待っていたいと思っています。

皆さんもお元気で。



                                  

Aさん

私の生活は何も変わっていません。

公共交通機関は使っていないので、毎日徒歩で仕事にいっています。

 

 


Tさん

私は職場と自宅の往復だけの毎日です。

本を読む時間が増えました。

オススメは「義男の空・田中宏明」

これは漫画です。実話で涙が止まりません。

「心の傷を癒すということ・安克昌」は、

ためになる本です。

佐藤愛子さんの作品はどれもおもろい(*^^*)

 

 


タケダさん

新型コロナの長期化とともに、豪雨による水害、記録的な猛暑と、この夏は命に関わる事態が続いています。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、困難な状況にある方々にお見舞い申し上げます。

 

当会が加盟している障都連や肢障協など関係団体の総会、集会も余儀なく延期や中止となり、今年度は活動できない状態でしたが、障都連では9月から要請行動を行うとしています。また、全国肢障協は927日にオンラインでの総会を予定しています。

私たちも決して無理のない範囲で参加していきたいと思います。

それにしても例年にない暑さです。会員・機関紙読者の皆さんにはコロナ対策とともに熱中症に気をつけてお過ごしください。

 



Mさん

コロナのお陰で「昼食の準備」がこんなにたいへんなこととは!

我が家は、父子2人暮らしです。この春、突然に目黒の土地にも新型コロナウイルスがやってきました。このため、息子は、「かみよん福祉工房」に通っていましたが、4月20日から5月6日まで、自粛への協力で休みました。さあ、この日から、工房で食べていた昼食を準備しなくてはいけなくなりました。なかなか、これが、毎日のことになると、メニューを考えることが大へんになり、2人でスーパーなどに買い物に出かけて、献立を練り上げました。メニューは、焼きそば・スパゲッティ・そうめんなど、麺類が主なものになりました。いつも、息子は、「美味しい」「美味い」と言って、ニコニコ顔で食べてくれるので、作り甲斐がありました。しかし、毎食となると、疲れるものでした。

       

 

Kさん

緊急事態宣言が解除されてからは、感染者数がどんなに増えようが、どんなに「コロナ」が身近になってこようが、通常通りの仕事に戻っています。

大丈夫かと不安を抱えつつ、毎日過ごしています。

 

 

 

オカダさん

数年前から家のリフォームを考えていましたが、「コロナ禍で外出できないから、この機会に実行しよう。頑張ろう!」と、緊急事態宣言が発令中は来る日も来る日も、荷物の整理をしていました。

5月から、工事が始まりましたが、私が一番よく使う自室とトイレは「使いながら不便な所をピックアップして、補助も申請し、完ぺきな住まいにしよう」と考えていました。

ところが梅雨入りから体調不良になり、7月末には全然歩けなくなってしまったのです。

 

急に障がいが重くなりなり困惑しましたが、外出自粛の体力維持のため「訪問リハビリ」の回数を増やしたことが功を奏しました。

「訪問」の会社の生活用具の担当者が「とりあえずレンタルで・・・」と、車いすやベッドを用意してくれて、本当に助かりました。PT・OT・ヘルパーさんたちのアドバイスで、今までとは違う体の動かし方や生活も学んでいます。

最近やっと体調が落ち着いてきましたが、美容室に行く自信がなくボサボサの頭をかいていたところ、「訪問」の会社は美容室とも提携しているとのこと。

至れり尽くせり・・・感謝・感謝です。

コロナが終息する頃には、皆さんが「ギャッ」と驚くようなヘアスタイルになるかも!

8月中にはリフォーム工事が完了するので、体調も回復すると期待しているところです。

 

 

 

    



2020年 会長あいさつ

掲載日:2020-02-02


いよいよ2020年は東京オリンピック・パラリンピックが開催されます。

平和の祭典であり、共生社会、心のバリアフリーに向けて障害者団体も力を注いできました。


選手も観戦する側もみんなが楽しめることを願います。


また、4月は目黒区長選挙、7月には都知事選が行われます。


私たちの声を、願いを大切にする政治をつくりたいと思います。


会としての活動も、会員、機関紙読者の皆さんにご協力をいただき充実させながら、


新しい仲間を迎えていければ幸いです。


皆さんのご健康をお祈りして年頭の言葉といたします。


武田真希



~わかりやすい障害者権利条約 -知的障害のある人の権利のために~

掲載日:2020-02-02


【本の紹介】                     だーばぁ

~わかりやすい障害者権利条約 -知的障害のある人の権利のために~

            長瀬 修 編著 伏流社(1100)


 

昔々、目黒区内で活動していたボランティアサークル「わかたけ」のメンバーだった長瀬修さんと小林英樹さんがタックを組んだ新刊です。


 

タイトルのとおり子どもでも漢字が苦手な人でもわかるように、イラストも多く、すべての文字にルビがふってあります。出版社に申し込めばテキストデータがもらえますから、パソコンの読み上げ機能を使って音声化もできます。

「障害者権利条約」と聞くとむずかしく感じますが、気軽に勉強できる一冊です。


 


ワークブックの形式もとられて、自分の考えが記録となるように作られているのもおもしろいです。


例えば、
Q、どこに今住んでいますか?

A、(・・・)
Q、いつか住みたいのはどんなところですか?

A、(・・・)
Q、その夢(住みたいのはところに住むこと)を実現するためには何が必要ですか?

A、(・・・)

身近なことから「権利」について考えることができます。




小柴資子さんを偲んで ② 岡田尚子

掲載日:2020-02-02




小柴資子さんを偲んで ② 岡田尚子

掲載日:2020-02-02


「最近、小柴さんはどうされているかなー」と思っていたところ。

すでに亡くなられたと聞き、とても残念です。「弔辞」銘打って、小柴さんの

とんでもない武勇伝の数々を語りたい人は大勢いるのに・・・

人は知れず逝ってしまって「こしばーさん、ズルイよ」。



 私と小柴さんとはちょうど30才違いますが、自宅が近く共通の知り合いもおりましたので、プライベートでも親しくさせていただきました。

小柴さんに初めてお会いしたのは、私が赤ん坊の頃のようです。祖母の話によると、

「尚子を負ぶって渋谷に行ったら、ハチ公前広場で演説している女の人がいた。どうやら尚子と同じ病気らしい。言語障害が重くて何言ってんだかわからなかったけれど、一生懸命しゃべってた。勇気をもらった。あれの人はスゴイ!」とのこと。

それが目黒の障がい者のリーダー、「小柴さん」だったのです。

 昭和30年代、健常者でも女性がハチ公前で演説するのは多くなかったでしょうから、祖母には小柴さんが「ジャンヌダルク」のように見えたのかもしれません。

成人した私は「障がい者運動」に参加し、ハチャメチャな小柴さんに振り回されましたが、祖母は常に小柴さんびいきで、

「小柴さんのことを悪く言ってはいけないよ。尚子たちが『当たり前』に暮らせるのは、小柴さんたち先人のお陰なんだよ」と言っていました。そして「尚子も小柴さんのように頑張りなりなさい」としめくくるので、「イヤだー! 頑張るにしてもほどがある。障がいがあっても、節度のある生き方をしろー」と、私は心の中で叫んでいました。

 しかし今になってみると、若い頃の私は「健常者のペースに合わせること」を「節度ある生き方」と考えていた気もします。小柴さんはどんな場合も「当事者ファースト」でした。それが時として「ハチャメチャ」に見えましたが、体当たりで社会を切り拓いていたことに間違いありません。

 

 前号でご紹介したとおり、小柴さんは勉強家でもありチャレンジャーでもありました。

 不自由なからだで台所に立ち「天ぷら揚げて、大やけどした」とか・・・

 電動車椅子で風をきっていたら「停まっていたバイクにぶつかり大ケガをした」とか・・・

 自爆的なことをされ、災難に遭うこともよくありました。

小柴さんはクリスチャンなので天国に行かれたはずですが、神様とケンカしていないか心配です。どうぞ穏やかに、私たちを見守って下さい。ご冥福をお祈りいたします


小柴資子さんを偲んで ②         岡田尚子

掲載日:2020-02-02


「最近、小柴さんはどうされているかなー」と思っていたところ。

すでに亡くなられたと聞き、とても残念です。「弔辞」銘打って、小柴さんの

とんでもない武勇伝の数々を語りたい人は大勢いるのに・・・

人は知れず逝ってしまって「こしばーさん、ズルイよ」。



 私と小柴さんとはちょうど30才違いますが、自宅が近く共通の知り合いもおりましたので、プライベートでも親しくさせていただきました。

小柴さんに初めてお会いしたのは、私が赤ん坊の頃のようです。祖母の話によると、

「尚子を負ぶって渋谷に行ったら、ハチ公前広場で演説している女の人がいた。どうやら尚子と同じ病気らしい。言語障害が重くて何言ってんだかわからなかったけれど、一生懸命しゃべってた。勇気をもらった。あれの人はスゴイ!」とのこと。

それが目黒の障がい者のリーダー、「小柴さん」だったのです。

 昭和30年代、健常者でも女性がハチ公前で演説するのは多くなかったでしょうから、祖母には小柴さんが「ジャンヌダルク」のように見えたのかもしれません。

成人した私は「障がい者運動」に参加し、ハチャメチャな小柴さんに振り回されましたが、祖母は常に小柴さんびいきで、

「小柴さんのことを悪く言ってはいけないよ。尚子たちが『当たり前』に暮らせるのは、小柴さんたち先人のお陰なんだよ」と言っていました。そして「尚子も小柴さんのように頑張りなりなさい」としめくくるので、「イヤだー! 頑張るにしてもほどがある。障がいがあっても、節度のある生き方をしろー」と、私は心の中で叫んでいました。

 しかし今になってみると、若い頃の私は「健常者のペースに合わせること」を「節度ある生き方」と考えていた気もします。小柴さんはどんな場合も「当事者ファースト」でした。それが時として「ハチャメチャ」に見えましたが、体当たりで社会を切り拓いていたことに間違いありません。

 

 前号でご紹介したとおり、小柴さんは勉強家でもありチャレンジャーでもありました。

 不自由なからだで台所に立ち「天ぷら揚げて、大やけどした」とか・・・

 電動車椅子で風をきっていたら「停まっていたバイクにぶつかり大ケガをした」とか・・・

 自爆的なことをされ、災難に遭うこともよくありました。

小柴さんはクリスチャンなので天国に行かれたはずですが、神様とケンカしていないか心配です。どうぞ穏やかに、私たちを見守って下さい。ご冥福をお祈りいたします


小柴資子さんを偲んで ②         岡田尚子

掲載日:2020-02-02


「最近、小柴さんはどうされているかなー」と思っていたところ。

すでに亡くなられたと聞き、とても残念です。「弔辞」銘打って、小柴さんの

とんでもない武勇伝の数々を語りたい人は大勢いるのに・・・

人は知れず逝ってしまって「こしばーさん、ズルイよ」。

 

 私と小柴さんとはちょうど30才違いますが、自宅が近く共通の知り合いもおりましたので、プライベートでも親しくさせていただきました。

小柴さんに初めてお会いしたのは、私が赤ん坊の頃のようです。祖母の話によると、

「尚子を負ぶって渋谷に行ったら、ハチ公前広場で演説している女の人がいた。どうやら尚子と同じ病気らしい。言語障害が重くて何言ってんだかわからなかったけれど、一生懸命しゃべってた。勇気をもらった。あれの人はスゴイ!」とのこと。

それが目黒の障がい者のリーダー、「小柴さん」だったのです。

 昭和30年代、健常者でも女性がハチ公前で演説するのは多くなかったでしょうから、祖母には小柴さんが「ジャンヌダルク」のように見えたのかもしれません。

成人した私は「障がい者運動」に参加し、ハチャメチャな小柴さんに振り回されましたが、祖母は常に小柴さんびいきで、

「小柴さんのことを悪く言ってはいけないよ。尚子たちが『当たり前』に暮らせるのは、小柴さんたち先人のお陰なんだよ」と言っていました。そして「尚子も小柴さんのように頑張りなりなさい」としめくくるので、「イヤだー! 頑張るにしてもほどがある。障がいがあっても、節度のある生き方をしろー」と、私は心の中で叫んでいました。

 しかし今になってみると、若い頃の私は「健常者のペースに合わせること」を「節度ある生き方」と考えていた気もします。小柴さんはどんな場合も「当事者ファースト」でした。それが時として「ハチャメチャ」に見えましたが、体当たりで社会を切り拓いていたことに間違いありません。

 

 前号でご紹介したとおり、小柴さんは勉強家でもありチャレンジャーでもありました。

 不自由なからだで台所に立ち「天ぷら揚げて、大やけどした」とか・・・

 電動車椅子で風をきっていたら「停まっていたバイクにぶつかり大ケガをした」とか・・・

 自爆的なことをされ、災難に遭うこともよくありました。

小柴さんはクリスチャンなので天国に行かれたはずですが、神様とケンカしていないか心配です。どうぞ穏やかに、私たちを見守って下さい。ご冥福をお祈りいたします。


第8回 めぐろわくわく子どもまつり報告         深沢郁

掲載日:2019-11-01


929日(日)「目黒区障害児者の生活を向上させる会」も参加団体として協力している第8回めぐろわくわく子どもまつりが開催されました。

前日の天気予報で雨マークが出たりして心配されましたが、当日は予想に反して晴天に恵まれ開催時間前から楽しみに待つ親子連れが大勢見られました。


 威勢のいいぶち合わせ太鼓がオープニングを飾り、あっという間に校庭はにぎやかな声であふれていました。

育館では、おなじみのたださんのパフォーマンス、ドリハナコンサート、沖縄エイサーが行われ、笑いと感動に包まれていました。


校庭での目黒土建によるバルンアート、モザイクタイル、椅子製作、コッパトイ、大科学実験。保育士による荒馬、ロックソーランのパフォーマンスに思わず踊りだす子どもたちがとってもかわいくてまわりの大人たちも笑顔で見守っていました。また、模擬店では恒例の焼きそば、フランクフルト、綿あめ、ポップコーン、ジュース、アイスクリーム,から揚げなどの販売。いい匂いにつられ2階に上がるとカレーライスの販売。大人気のカレーライスはあっという間に完売してしまうほどでした。

好天に恵まれ一昨年を上回る約3000人が参加しました。

 





小柴資子さんを偲んで  ①

掲載日:2019-11-01


――プロフィール

小柴資子(こしばもとこ)さん、1931(昭和6)年生まれの重度脳性まひ者です。

戦時中は学力よりも体力に重点が置かれ、「米食い虫、非国民」とののしられながらも、果敢に挑み続けた方です。


戦後も障がい者には厳しい状況は続きますが、小柴さん持ち前の不屈の精神で日本社会事業大学研究科に聴講生として1年間通学した後、日本肢体不自由児協会にケースワーカーとして就職し、同病者として子どもたちの気持ちを真に理解しようと努めました。

小柴さんは「競争率1300倍」といわれる国家公務員試験にも挑戦しています。小柴さんの就職活動後の1960(昭和35)年に身体障害者雇用促進法が公布されました。


同じころ、身障者運動を盛り立てていくために、地域の身障児の親たちに呼びかけて「父母の会」を結成させます。それが「障害者の生活を向上させる会」へと、つながっていきます。

 


私たちの大先輩が2017年9月に亡くなられていたと、最近知らされました。

これから何回かに分けて「小柴さんの想い出」を掲載しますので、会員の中でも小柴さんをご存知の方は、ぜひ寄稿して下さい。

 


第一回目は、長く運営委員を務める浅川晃司さんが「想い出」を書いて下さいました。

 

 


 

 私が、初めて小柴さんにお会いしたのは、今から40年前、ちょうど私が目黒区役所に勤務するようになった頃である。


当時の私は、障碍者運動とかどういうものなのか全くわからず、まだ施設職員として働き始めたばかりであった。私は、向上させる会の会議などに出席しても、議論されている内容がほとんどわからず、ただただ席に座っているという状況であった。その時、障碍者自身が関係者とともに運動に関わり、社会にアピールする事の大切さを教えてくれたのが、小柴さんであった。

 

そのお姿が、昨日のように思い出される。また、小柴さん自身は、お幾つになっても学ぶことには貪欲なかただったという印象が、今でも強く目に焼き付いている。


 毎年行われる全国障碍者問題研究会をはじめ、各種の研究会・学習会には時間を惜しまず精力的に参加され、多くの学びを周囲の人に伝えてくれた。


 以後、「鷹番ふれあい祭り」や「雪だるまスキー」等で関わることになるのだが、いつもバイタリティあふれる方であった。目黒区における障碍者運動にはなくてはならない人である。お亡くなりになったということをお聞きして、心からご冥福をお祈りしたい。


                                   浅川晃司

 

 



「しあわせ」をかみしめる時        境井敬昌

掲載日:2019-11-01


私が「たけのこ」に初めて参加してから、30年以上経ちました。

 

注:機関紙作りのチームを、通所「たけのこ」と呼んでいます。


 

最初は深沢さんたちの紹介で「たけのこ」と参加しました。


目黒区役所を早期退職した後、両親を介護していましたが、父がなくなり母が亡くなり、家庭的に不安定でした。


現在は一人暮らしです。夜、一人でいると辛いです。でも、辛いからしっかりしてきたと思います。


 

最近「たけのこ」に再び参加するようになり、岡田尚子さんや武田真希さんと又、一緒に活動できて、本当に幸せだなと感じています。


以前とは違って、岡田さん武田さんに物おじしなくなりました。

 

何気ないことが幸せにつながり、何気ないことが平和なんだなあと思いました。


運営委員や「たけのこ」の皆さんと知り合えて、今は本当に幸せをかみしめています。




「しあわせ」をかみしめる時        境井敬昌

掲載日:2019-11-01




小柴資子さんを偲んで  ①

掲載日:2019-11-01




機関紙「たけのこ」の舞台裏

掲載日:2015-03-03


 毎月毎月発行している機関紙「たけのこ」。 私・岡田や武田真希が機関紙に関わるようになり四半世紀になります。私が知る限りでも「たけのこの歴史」を書き出したら小説になってしまうので、紆余曲折があり進化して2014年に至った「現在の編集や印刷、発送作業」をご紹介します。


①  「たけのこ」のページの上についている ↓

発行人:障害者団体定期刊行物協会 〒157-0073 東京都世田谷区砧6-26-21
1976年 2月25日 第三種郵便認可 (毎週4回 月火木金発行)
  定価100円 購読料は会費に含まれています
2014年 2月25日発行 通巻第8588号

 これに気づいていない方も多いようですが、「障害者定期刊行物協会」の住所などなど、二行目までは定型文です。三行目の発行日や番号は「障害者定期刊行物協会」に登録している団体が毎月もらう数字です。

 今月は「2月25日発行」と記してありますが、実際に「たけのこ」を発行するのは2月21日です。「たけのこ」は全国に何種類もある「障害者定期刊行物・SSKO」の一つ。正式名所は「SSKO・(副題)たけのこ」です。他の団体も「定期刊行物」を発行するので、日付や通巻番号がずれ込むというわけです。

 上記の黒枠の部分を、「たけのこ」の全ページに書くことを義務付けられています。

②そもそも「障害者定期刊行物」とは・・・ 身障害者(児)団体がは発行する定期刊行物に対して郵便料金が減免される制度があります。 これは「障害者の福祉の増進を図る活動を行なう障害者団体」を支援する事業です。 「障害者定期刊行物」と認めてもらうためにはいくつかの 《必要用件》があり、厄介ですが、それをクリアすれば格安の費用で発送できます。

黒枠の部分は現在はパソコンでもプリントできるようになり、今月号は奇跡的に全ページパソコンで処理できましたが、たいていは一枚ずつ手作業で貼り付けています。 数か月前には一番重要な表紙を印刷ミスしてしまい、200部全部に「訂正紙」を貼ってもらったこともありました。 ボランティアの皆さん、ゴメンナサイ・・・でした。

 

③「SSKO」には様々なキマリがあります。 「表紙をつける」「目次を書く」 「ページを打つ」 「ページの割付」などなど・・・。 パソコンでイラストを入れたりレイアウトを考えたりするのは大変孤独な作業となるので、ヘルパーさんやボランティアさんと「あーだ、こーだ」言いながら、 作業しています。

← ページを組んで最終チェック。 ページ組みの時は何年やってても緊張します。

P1とP8がワンセット、その裏面はP7とP2。

P3とP6がワンセット、その裏面はP4とP5。

ページ数が増減するとこの組み合わせが変わります。

突然原稿が増えるとページ組が大幅に変わるので原稿を依頼された方は締め切りを守って下さいね!


④ 最後の仕上げ ページ組みだけでなく、みんなで 誤字脱字もみんなでチェックします。 校正作業は何人もの目が必要。 初参加の人が「これ間違ってる」と 誤字をみつけてくれたりします。

「さぁ、皆さん、いいですかー?  刷りますよ! やりまーす」 《印刷》のボタンを押して、 最初の一枚がちゃんと出てくると、「やったー」と拍手\(^o^)/

     

 前回、重大なことを書き忘れました。 機関誌を発送するためには「封筒」が必要。 「宛名印刷」は不可欠です。 それに伴う「名簿の管理」は団体の中枢部分です。 ここ10年近く、武田真希がこの大役を担っています。 「宛名印刷」は大変ですが、個人情報に関わることなので 武田と岡田のパソコンのみで処理しています。 武今回は「向上させる会の秘密基地」ともいえる 写真のような感じで、夜な夜なパソコンと格闘しています。            武田の書斎を初公開!→


 前号でご紹介した印刷作業の翌日、  封筒づめ作業をします。  A3用紙に刷った物を組み合わせ半分に折り 「たけのこ」は完成ですが、封筒に入れるために  さらに3等分します。  封筒の口を半分切ることも「障害者定期刊行物」の  決まりです。 

 以前は印刷も目黒本町社教館でしたが、 印刷機の都合で、印刷はあいアイ館を使っています。 「障害者定期刊行物」は本局からでないと出せないため、 最終作業は目黒郵便局に近い会場で行なます。

←ボランティアさんたちが作業している様子

 

 

 

 

 封筒づめがすんだ150通の機関誌を 45リットルの袋に入れて、郵便局まで運びます。 (ゴミ捨てに行くのではありません)        →

順調に作業が進めば、その日のうちに発送完了! それでも郵便を出せるのはPM8時頃でしょうか。

とりあえず、お疲れさま~ (ToT)/~~~

これで終わりではありません。

武田の夜はまだまだ・・・つづく.。oO○

 

 

 


機関紙の舞台裏 ③ 

 

 前回まで機関誌の編集・印刷・発送について掲載しましたが、私たちの会の機関誌は「発送して終わり」ではありません。 「たけのこ」は視覚障がいの方や文字を読むのが苦手な方のために 「朗読バージョン」もあります。 今号では朗読テープ作成作業を ご紹介します。

完成した「たけのこ」を武田からボランティアセンター、 そして「目黒朗読グループ・アイ」の順で機関誌を送ります。 武田は文中の固有名詞(人名など)、読み方が難しい箇所に注意書きをつけます。

 ここで執筆者の方々にお願いがあります。原稿を書き終えたらご自身で音読してから提出してください。編集担当も読みやすく修正していますが、「録音テープ」のことも頭において書いていただけると嬉しいです!(^^)!

 数日後、ボランティアセンター経由で録音CDが戻ってくるので、それを武田が希望者の人数分ダビングします。 一年位前まではカセットテープを使っていましたが、カセットテープを販売する店が減り、ネットで探した時期もありました。時代はCDに移行しています。「目黒朗読グループ・アイ」からの申しでもあり、現在はCDに録音していただいています。 CDについては、2、3月号で試作してもらって、いろいろ勉強中です。


 今はまだ配布はカセットテープです。これから利用者の皆さんに確認を取り、 テープがいい方とCDの方がいい方に分けていく予定です。


 朗読テープ希望の方はご連絡ください。会員に限り無料でお送りします。

 



運営委員会の報告 9月

掲載日:2014-09-02


 運営委員会の報告

           事務局 武田真希

9/3(月)、さくらプラザにおいて定例の運営委員会が開かれました。 仕事の関係で開始時間には間に合わないメンバーも、途中から駆けつけると、話し合いは活気づきます。

経過報告 8/9 目黒社保協駅頭宣伝 目黒駅で「社会保障と税の一体改革」反対の宣伝を行いました。通行人の反応も良く、一時間でチラシ350枚を配布。この問題への関心の高さが感じられました。

8/11・12 全障研大会・・・次頁に報告を掲載。

8/15 目黒区障害者団体連絡打ち合わせ会 今回は団体同士の交流会になりました。活動報告が中心でした。

8/24 東京肢障協役員会 10月に行われる対都交渉に向けて、介護保険に関連した要望を出し合いました。 障害者も65歳になると介護保険優先になり、制度の違いから、それまでの生活が続けら れないというケースが少なくありません。65歳になる以前に利用していたサービスが、 そのまま使えるように国への働きかけと、都独自のサービスを後退させないよう要望し ます。日程は調整中とのことです。 「出かけよう会」バリアフリー点検を兼ねて11月11日に横浜中華街へ行きます。

8/25 会員訪問・・・別頁に記事を掲載しています。

8/29 目黒区職労・・・目黒区行政改革についての意見交換会

議題 ① 学習会・・・9/22の学習会については、会員や関係団体への参加呼びかけを確認。 当日の役割分担を相談しました。 ② バスハイク・・・この日の話し合いで、人数、駐車場など必要な条件を確認したあと、3/9分でスカイツリーに申し込みましたが、抽選結果は残念ながらハズレ((+_+)) 10月の会議で他の行き先を検討します。 ③ ホームページ・・・だんだん具体的になってきています。「運動の資料」「行事の写真」「機関紙掲載記事」から載せ始めます。カテゴリーに分けて使いやすくしていく予定。 なお、事務局のパソコン故障でデータの損失もあり、写真は今年度分から使います。



運営委員会の報告 8月号

掲載日:2014-09-01


運営委員会の報告

武田真希 岡田尚子


8/6(月)、さくらプラザにおいて定例の運営委員会が開かれました。 猛暑とオリンピック観戦で寝不足の人もいたようですが、会議は順調に進みました。


経過報告

7/20 区長との懇談会

今回は質問の時間を多くとって、よかったと思います。
区長の話は、逃げるのに必死で、答えになってなかった印象です。

7/21 もえぎの会事業報告会・懇親会

7/23 目障懇

7/27 城南肢体障害者の会

羽田空港で夜景を見ながら食事会をすることになりましたが、5000円のコースなので、ヘルパーの分はどうしようかという話になりました。(ヘルパーが付き添わなければ参加できない重度障害者はヘルパーの分も支払わなければならず負担が大きいということ) 今回は来たメンバーの頭割りで出すことになりました。(今後の検討課題)

7/28 東京肢障協

秋に中華街に行くことになりました。トイレについて都への要望をまとめる作業をしています。10/31に今年も大フォーラム 11/25が障全協集会を予定しています。


議 題

①9/22(土)に行なう学習会について・・・別紙参照

②「会員訪問」について・・・10年以上前に行なっていた会員訪問(インタビュー)が復活します! その内容や日程調整を相談しました。

③バスハイクについて・・・候補地は「スカイツリー」となりました。スカイツリーの団体予約が半年前から受付なので、バスハイクの実施を11/10⇒3/9に変更し、予約抽選に挑戦することにしました。抽選にはずれたら別の場所を探します。

④区立の施設利用料値上げについて・・・皆さんも区報などをご覧になったと思いますが、施設利用料が値上がりします。これに対し「福祉施設などは税金でまかなうべきである」と会として意見書を出します。



運営委員会の報告  2月号

掲載日:2012-02-22


2/6、定例の運営委員会をさくらプラザで行いました。
今月は欠席者が多く、ちょっとさそみしい会議でしたが、報告内容はいろいろあり、寒い中みんな頑張っているなーと感じました。


経過報告

1/27 SUN作業所の「20周年記念会」に出席しました。

1/29 障都連都民集会
佐藤久夫さん(日本社会事業大学教授)の話。
聴くのは3回目でしたが、総合福祉法について、ますます雲行きが怪しくなっています。
基本合意も骨格提言も関係なく、自立支援法の一部修正で終わらせ、権利条約を批准することなど、許されないことだと思います。
パネルディスカッションでは、親元からグループホーム・ケアホームへ入るための体験事業について紹介されていました。
足立区の二見清一さんの話、行政の役割として、「わかりやすい制度にするよう、国に働きかける」ということ。障害者の側からの要望でもあると思うのですが、その前段階として、中身の問題が大きすぎます。

1/30 目障懇
今年最初の定例会で、団体ごとの活動について話しました。
その中で「障害者(児)をささえる会」と「めぐろ視覚障害者の会」が、3月で解散することになったという話がありました。いずれも会員の高齢化で活動を続けるのが困難。
とても残念な報告です。
定例会に引き続いて行った新年会には、障害福祉課長も出席くださいました。

2/4 新春のつどい
今回は久しぶりに「椅子が足りない」ほど盛況に終わりました。
皆さんに案内を出した後、出演者の宇田川光雄さんの提案で、「バルーンアーティスト」の小菅としのりさんのコーナーも設けました。何年か前にも小菅さんの「風船バフォーマンス」を見せていただきましたが、今回も大変盛り上がりました。
川島さんの語りは、前半が長く子どもたちが騒ぎ出さないかと心配しましたが、「静かな世界」が逆に新鮮だったようです。
さまざまな音や映像に囲まれている今日、子どもも大人も「静寂」を楽しめたと思います。
学童保育クラブのメンバーは「マルモリ」を踊ってくれましたが、これは通所している障がい児のお得意のダンスで、その子を中心に練習していたそうです。しかし当日、主役がインフルエンザで参加できず、指導員の方々が大変残念がっていました。
でも、学童保育クラブの皆さんが障がい児を中心に「出し物」を準備してくださったことをうれしく思いました。
後日、参加した会員さんのお母さまから「楽しんで帰ってきました!」とのFAXも届き、運営委員一同、企画した達成感を味わいました。


●小菅さんのブログ・・・SMILEARTH blog・・・
こちらにも「新春の集い」の様子が載っています。

●「川島昭恵」で検索して川島さんのホームページを開くと、素敵な語りが聴けますよ。




※行事の直前になって「送迎の車を回してほしい」という電話をいただくことがあります。
当会の行事の時には、高砂自動車のご協力により、車による送迎体制を組んでいますが、これは、事前の申し込みを受けて、ルートを決め、それにしたがって会員宅を回っているので、急には手配できません。
障害者で送迎を希望される方は、申し込み締め切りを守ってくださるようお願いします。



今後の予定

●2/26(日) ボーリング大会
13時半~ 品川プリンスボーリング場
●3/11(日) 学習会  講師:福井典子さん
 13時半~  さくらブラザ
●3/25(日) 料理教室



運営委員会の報告   11月

掲載日:2011-12-12


11/14、定例の運営委員会を行ないました。
通常運営委員会は毎月第一月曜日ですが、バスハイクとの兼ね合いで、今月は一週遅れとなりました。
年度の後半は行事が続くので、運営委員もハードになってきました。

経過報告

10/7 目黒区地域福祉を考える会
座長の大橋謙策さん(日本社会事業大学大学院特任教授)のお話はわりやすかったけれど、
大橋先生も知らない「目黒地域福祉」の実情があると感じました。
身近な問題も「些細なこと」とせずに、区に投書していくべきだと思いました。

10/8・9 肢障協全国交流集会(広島)
前号でも少し報告しましたが、その続きです。
1日目、全体会で障害者総合福祉法について、日本社会事業大学教授の佐藤久夫さんの話がありましたが、
会場に到着する時間が遅くなり、メインの講演が聴けなかったのは残念でした。
2日目の分科会。「地域で安心して暮らすために」というテーマでレポートを聴きました。
障害者自身の加齢とともに、新たな問題が出てきます。
・高齢の親の介護・支援と、自分の介助をどのように分けて考えるのか、
制度上はプランが一人ひとり別々に組まれているが、実際に同居していると、生活を分けて考えるのは難しい部分があるということ。
・親が他界し、一人暮らしの脳性まひの障害者が怪我で入院した時に、ヘルパーが利用できず、
ベッドの上で役所や事業所に電話しても「制度なので派遣できません」と、断られ、
2週間後に外出許可が下りるまで、自宅のものに手が付けられず困ったという報告がありました。
・本人が肢体不自由、子どもが知的障害があるというケースでは、これまでの子育てのようす、
これからの生活についての不安が語られました。
全体をまとめることはしませんでしたが、一つ一つが大きな課題で、これからの制度に入れていかなければならないと思います。
引き続きオプションツアーとして、語り部の方の被爆体験を聞き、原爆資料館に行きました。
車椅子からは、展示がよく見えませんでしたが、それでも原爆投下時刻で止まった時計は衝撃の大きさがうかがえました。
投下計画がどのように進められたのかを少し学ぶことができ、戦争で人間の思考が変わってしまうことの恐ろしさ、だからこそ平和を守ろうという気持ちを改めて感じました。
広島駅から会場近くまでの移動は、全国的にも珍しい「低床電車」を利用しました。
ホームと電車の隙間がほとんどなく車椅子も楽に乗り込めて、障害者については料金80円。介助者は2名まで無料というのは良心的でした。

10/16 学習会  報告は前号をご参照ください

10/19 目黒区障害者団体連絡打ち合わせ会 10/26 目障懇
防災課が来て災害時等の対応について話をしました。
緊急・災害時の要支援者名簿の取り扱いについて、説明がありましたが、まだ登録内容自体、
不十分。たとえば手押しの車イスと電動車椅子では重さも支援の方法も違ってくると意見が出ました。

10/23 料理教室 
前回の料理教室で「おはぎを作りたい」というリクエストが出たので、そこに的をしぼって計画を立てていただきました。
おはぎの他に、ほうとう・しんじゅむし・サケの酒蒸し等を作りました。

10/27 サンマルシェの点検
8月号に書いた「サンマルシェ」の多目的トイレについて、話を聞きたいと、障害福祉課から連絡があったので、実際に行って、使いにくい部分を説明しました。店内のレジも、障害者にとっては高過ぎるので、改修ができるかどうか、検討するとのことでした。

10/29 区民のつどい・・・11/3に「目黒区北部施設めぐり」をしました。

10/28 JDF大フォーラム
全国からの参加者1万人。野外音楽堂だけでは、会場に入れない人もかなりいたようです。
集会の後は東京駅までパレードしました。でも、今回はメディアでは、取り上げられてせんでした。

11/12 障都連代表者会議
都庁などに設置してある「自動販売機」の収益は障害者団体に寄付されていましたが、
震災の後の節電により、その収入が減り、財政難に陥っているとの報告がありました。



運営委員会の報告  (9~10月)

掲載日:2011-10-26


経過報告

9/24 城南肢体障害者の会 街頭署名活動
場所は学芸大学駅前、10名程度で行いました。
目黒社保協の方も応援してくださり、署名は1時間で47名分集まりました。
ご協力くださった皆さん、ありがとうございました。

9/26 目障懇
障害福祉課から、障害福祉課の予算削減についての説明がありました。(67事業・1億7千万円削減)
その中で「リフト付き小型バス」が廃止されるという話もありました。
私たちの会は行事の時この車を使いますが、他の団体からは利用するという声がなかったので、
継続を求めるとしても、他団体と共同の運動にはつながらないだろうと思いました。

すくすくのびのび園に関係する事業やショートステイ事業の予算が削られるという項目もあり、
ここは減らしてはいけないのではないかと思いました、

9/27 都立大学バリアフリー交流会  都市整備部(+企業)主催
都立大学駅のそばには「めぐろ区民キャンパス」という大きな複合施設があり、
なかでも「あいアイ館=心障センター」があるので、10年前から障害者団体だけでなく、
都立大学の地元商店街、地域住民の方々と「町歩き」や「交流会」を行ってきました。
しかし「問題のある場所」の改善は進んでいないのが現状です。
歩道を広げたり信号機をつけるといったことは簡単には出来ませんが、
「パーシモンホールで大きなイベントがある場合、主催者の責任で人の流れを分散させる
(人込みを作らない)など、
ソフト面で工夫をすれば「めぐろ区民キャンパス」周辺の安全性が高まるのではないか・・・
という意見が出されました。

10/1 みんみんの会 バーベキュー
品川の「みんみんの会」のレクリェーションに初めて参加しました。
場所は「しながわ区民公園」。全体では60名ぐらい集まりました。
視覚障害の人が6名ぐらい一つのテーブルに固まって話しているのが目立ちましたが、
車いすの人は少なかった感じです。知的障害の人は何名かいましたが、家族と一緒のようでした。
準備・調理は全部、健常者で、人手は余るほどなのに、障害者のそばにはボランティアが誰もいませんでした。
たまたまヘルパー(ガイド)がいなくても動ける障害者ばかりだったからかもしれませんが、
ちょっと気になる点でした。これからも他団体の行事に出てみたいと思います。

10/2「子ども、子育て新システム・東京集会」
770名参加。
「子育てのことは障害者福祉と関係ない」と思われる方もいるでしょうが、
社会保障が「子ども・保育」の部分から崩されようとしています。
このことについては、「学習会の報告」のページでも触れますので、ご参照ください。

10/7 「地域福祉を考えるつどい」 目黒区地域福祉審議会 
目黒区役所本庁舎 大会議室で行なわれました。

10/8-9 肢障協 全国集会 広島



運営委員会の報告(7~8月)

掲載日:2011-09-03


【経過報告】
7/12 区長との懇談会
向上させる会からの「日常生活具・パソコンの支給」については、「本体が支給対象外と、変わらないが、障害によって必要な周辺機器・ソフトは補助の対象とする」との回答がありました。グループホームについては財源や土地の確保という問題があり、必要性は十分承知しているが実現は難しいという答えでした。

7/15 市橋博さん慰労会
向上させる会の創立メンバーであり、障都連事務局長を長年務めた市橋博さんが退任され、「市橋さんのご苦労さん会」が新宿エルタワーで盛大に開かれました。市橋さんの活躍の幅広さ、運動への影響力を改めて感じました。事務局長は引かれましたが役員にとどまるということです。市橋さんのバイタリティには到底及びませんが私たちも見習いたいと思います。

7/25 目障懇
区長との懇談会の反省会のあと、区の担当係との懇談。おもに財政について話していただきました。
今後「区の財政問題」についての説明会を要望していきたいです。

福祉の店として6月末にオープンした「サンマルシェ」のトイレについて話しました。
清水のバス停近くに今年新しくできた目黒本町福祉工房。その一角が「サンマルシェ」です。区内障害者施設でそれぞれ生産されている品物を販売するほか、飲み物の販売、買った食品をその場で食べられるイート・イン・コーナーがあります。目黒通りに面していて店内は明るく「サンマルシェ」のネーミングもお洒落です。
問題に挙げたのは、そこにある多目的トイレです。広々として、もちろん車椅子で入れますが、実際に使ってみると、便器に座った時、ペーパーホルダーに手が届きにくいのです。シャワートイレのスイッチ、手洗いのためのスペースとの位置のバランスが悪く、使いにくさを感じました。
なんとか、配置をより使いやすく改善してほしいところです。


障害について広い範囲で理解してもらう目的で作成した冊子「わかってください」の改訂版をつくることになり、向上させる会は「車いすを使っている人」のページを担当します。
具体的には、初版本では電動車いすに触れていなかったので「電動車いすは手押しに比べて重いこと、動いているときに急に近寄らないでほしい等」を追記します。



【今後の予定】
学習会① 子ども(障害児)を中心とした学習会を開きます。保育園や学童保育クラブの元職員などを講師に招いて、目黒区の障害児保育の成り立ちと今後についてお話を伺うことになりました。



1月~2月にかけての経過報告

掲載日:2011-02-20


年末から年明けにかけ行事が多い上に、全体の日程の関係で運営委員会議で話し合ったことを翌日に文章化し、その翌日に印刷というハードスケジュールになっています。その他、年度末ということで提出書類が多く、事務局は大忙しです。1月と2月は「たけのこ」に会の情報を十分載せられず、申し訳ありません。


1/24 目障懇
今年最初の定例会で、団体ごとに新年の抱負など話しましたが、その中で、「めぐろ視覚障害者の会」が3月で解散という、寂しいニュースを聞きました。後継者がいない、ボランティアか見つからない、というのが、大きな理由だそうです。
民生委員との懇談を3/14午後、行います。

同日夜間は、目黒区社会保障推進協議会の総会。
雇用の問題、保育関係、高齢者介護の問題など、それぞれの現場から報告があり、どれも深刻な状況にあると感じました。
私たちの会からは、会長の宇野が障害者の現状を話しました。


2/6 バスハイク下見。
お台場方面、葛西臨海公園を下見しました。昨年の「横浜ツアー」は好評でしたが悪天候のため十分楽しめなかったので、「雨天の場合」を考慮して、場所を探しました。近年バスハイクの行き先が近場で物足りないと感じる会員さんもいらっしゃると思います。私たちの会は障害者当事者も運営に関わっており、自分自身も加齢し家族も高齢化しており、外出の際は朝の支度からヘルパーを頼んでいます。そのため出発時間が早いとしたい不自由者本人の体力もつらく、ヘルパーを頼むのもむずかしいので、あまり遠出が出来なくなりました。
近場ではありますが、しっかり下見をして楽しめるプログラムを相談して、皆さんのご参加をお待ちしています。

大まかなプログラムが決まりましたので、別紙をご参照ください。




2/11 障都連都民集会
午前中の記念講演は「いのちとくらしを大切にする、新しい福祉都市、東京へ」と題して元東京都教職員執行委員長の中山伸さんが話されました。
石原都政になって12年。東京都の福祉はどう変わったか、どうすれば、よりよい方向へ持っていけるか、ということ内容でした。「贅沢と言えば、まず福祉」と言って、どんどん福祉予算を削り、大規模開発や自分の旅行には惜しげなく使っていた。その使い方を変えれば、福祉都市をつくることができると、わかりやすい話だったと思います。
午後のパネルディスカッションは、教育・医療など、子どもの問題に焦点が当たっていましたが、どれも待ったなしの切実な声でした。特別支援学校は教室不足が解消されない。教師の数を減らし、ヘルパーを入れて対応、教育というより介護に重点が置かれるなど、効率優先で現場を無視した状況が報告されていました。
フロア発言で、24時間ヘルパー派遣の問題が出されていました。これからの課題の一つだと思います。




10月 活動報告

掲載日:2010-11-30


10/24(日)14時から、目黒本町社会教育会館で運営委員会を行ないました。
料理教室終了後に運営委員会議を開いたので、出席率が良かった一方、朝から行事に参加していたメンバーは「お疲れモード」だった気がします。

経過報告および感想

10/10 学習会 「東京都の福祉施策について」 講師・二見清一さん
二見さんの話はやっぱりわかりやすい!と思いました。
ナショナルミニマム(国家が国民全体に対して保障すべき必要最低限の生活水準。)、シビリミニマム(都道府県が独自に打ち立てる生活保障基準)という言葉をキーワードとして詳しく解説してくれていましたが、ほかの集会の場でもよく使われる言葉なので、意味を知っておいてよかったと思いました。
 「ナショナルミニマム・シビリミニマム」という言葉だけ読むと「難しそう」とか「自分には関係ない」と思われるかも知れませんが、日常の生活した事柄です。
 ここのところ二見さんを招いての学習会が多いせいか、内容の伝え方が悪かったのか、参加者か少なくて残念でした。
 また初参加の方もいたので、出席者一人一人に自己紹介をしていただけば、少数なりに意見交換の時間が持てなのではないか・・・という反省も出ました。

10/19 東京肢障協 対都交渉
都に対する要望について担当者の回答を聞きました。
特に強く要望したいのが「入院時のヘルパー利用」の問題。現在の制度では「医療」と「福祉」の領域が分かれているため、病気や怪我で入院した際、ヘルパー派遣が認められていません。しかし、看護師の不足や、障害者介助の経験が少ないことから、重度の障害者には対応できないという事実があります。言語障害があれば、医師に自分の症状を伝えることも困難です。慣れたヘルパーの介助でなければ入院生活を続けられないという訴えが度々あり、これまでも改善を求めていました。
 東京都としては、「そのような話は聞いている」としながらも、独自施策として認めるという話はありません。これからの運動にかかっています。

10/23 日本障害者センター主催のセミナー
初めに特別報告は日本難病・疾患団体協議会の水谷幸司さん。難病として、いわゆる「制度の谷間」におかれている人たちの問題について話されました。
そのあと、講演を2本。自立支援法訴訟弁護団事務局の藤岡毅さんの報告と見解、また鹿児島股大学教授の伊藤周平さん。今の民主党政権が、福祉についてどう考えているか、伊藤さんのお話はとてもインパクトかありました。
・鳩山内閣から菅内閣に替わったことで、政治姿勢は小泉旧自民党の内閣のやり方に逆戻りしてしまった。
・「地域主権改革」で国の社会保障費を削り、各自治体レベルに下していく。
・国レベルの保障(ナショナルミニマム)を廃止する方向である。

・子どもの保育から高齢者、障害者、国全体の福祉制度を介護保険化しようとしている。
総じて先の暗くなる話でしたが、最後に印象に残っているのは「障害者運動は高齢者や児童の福祉問題にも、もっと目を向けて連携していくこと」。そして「本気になれば、すべての人を対象にした総合福祉法的な法案を自分たちでつくる力はある」と。
課題は大きいですが、希望を持たせてくれる言葉でした。




※ 地域活動団体登録について
  来年一月より規定が変わります。
区内を主な活動拠点としている団体、もしくは地域の公益と協力できる団体(PTA・町会など)、それ以外の団体は目黒区内で活動していても、その会の代表が目黒区民でないと登録できず、施設利用料が今までの2~3倍になるとのこと。
区側は「区の施設(会議室など)を学習塾や商品販売などに使わせない防止策」としていますが、このように規定が変わると私たちの活動にも影響が生じてくると思います。

※ 障害者週間記念事業 12/5 パーシモンホール
昨年同様、私たちの会では活動紹介のパネルを展示し、会のリーフレットなどを配る予定です。

※ 先月号でお知らせした「映画・いのちの山河」のチケット代を会で半額補助します。
(一般券1,200円、会員割引 600円)  受付で「向上させる会会員です」と申し出てください。
パーシモンホール 12/5  10時~  14時~  19時~

※ 今後の行事についての打ち合わせ
「新春のつどい」「バスハイク」といった大きな行事に関しては次回までにプランを作り、練っていくことになりました。