目黒区障害児・者の生活を向上させる会
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「社会的擁護の現状と今後」

掲載日:2019-08-24


「社会的擁護の現状と今後」学習会のまとめ  岡田尚子

 

/23() あいアイ館において、定期総会と学習会。

学習会では「社会的擁護の現状と今後」と題して、区内児童養護施設職員の青木貴志さんにお話を伺いました。

 

 「養護施設」というとタイガーマスクが育った「孤児院」を思い浮かべる世代の方もいるでしょうが、現在は虐待や養育者の疾患、離婚など」が多く、「親はいるのに一緒に暮らせない子ども」を保護しています。

 入所児童の保護者の状況は「単親」「低学歴」「低所得」そして「社会的孤立」が特徴的です。面談すると「生活に疲れて、つい子どもに手をあげてしまった」「身近に相談する人がいなかった」と、子育てしている親なら誰しも経験するようなことから話されます。

子どもの虐待に関してのニュースが毎日のように流れていますが、その背景に何があるのかは掘り起こすことはありません。

・様々な理由で保護者と暮らせない子ども達のこと。

・子どもを虐待してしまう親も追い込まれている社会の実情。

・養護施設を出た後の子どもの受け皿がないこと。そういったことも取り上げてほしいです。

「面会日」に子どもに会いに来る親もいるし、親元に帰りたい子どももいて、「施設でがんばって将来は自立しよう」という気持ちの子が少ない感じもします。18才になり施設を出てからの受け皿がなく、うらみを持ち犯罪に走る残念なケースもあります。

 また「児童相談所」や「児童福祉士」の対応も問題視されますが、人手不足であることが最大の問題点です。児童相談所などの職員は公務員で、「制度や対応方法」を覚えたら異動とか、異動してきたばかりで詳しく知らないで対処が遅れるケースもあります。子どもを守るためには、職員増と人材育成が不可欠です。

 

 「児童相談所」は各都道府県におかれていますが、地域によって規模や地理的状況に応じて複数の児童相談所(窓口)を設置しています。きめ細かく子どもの様子を知るため、学校等とも連携を図っています。子どもはなるべく親元で育てようと考え、問題のある家庭には訪問して様子をみます。緊急を要する場合は、その子どもが生活している圏内にある施設で預かるようにしています。しかしどこの施設も満杯で、個々の対応がむずかしい現状です。

 「できる限り良好な家庭的な養育環境の提供」を目指しているので、「里親」に預け一般の家庭で育つようにもしているし、民間団体が「子どもを養育する機関」を創設したりしています。しかし一般の方たちが普段から協力しあい、社会全体で子どもを守る気持ちで暮らすことが一番大切です!

身近な子どもの異変を感じたら「189」に電話すれば、児童相談所につながります。通報者のプライバシーは守られますから、「お節介をして逆恨みされるのではないか」と、あれこれ心配せず、まず状況を伝えて下さい。

 自分自身が子育てに追い詰められた時も「189」に相談して下さい。


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子どもたちを育て合う施設や様々な条件づくり

掲載日:2015-06-20


 7/5(日) 13:30~15:15頃


目黒区心身障害者センター・あいアイ館


参加費無料・保育室あり


目黒区に長年勤務した保育士・学童保育指導員にお話しをうかがいます。
保育園・学童保育制度など子どもたち(障がい児)の現状を学ぶとともに、
職員の処遇改善も考え、共に将来へとつなげましょう!
            
***
※ベテラン保育士が中心となり、保育室を準備しています。
「保育」を希望する方は、お子さんの年齢・障がいの有無。
連絡先(携帯電話の番号・アドレス)
障がい児の場合、お子さんの特性やどのようなサポートが必要か等、
お知らせください。  (第一次しめきり・6/20)
                  ***
     主催: 目黒区障害児者の生活を向上させる会  


事務局(連絡先)/岡田 
 〒152-0023目黒区八雲1-10-2


TEL&FAX/03‐3723‐5643  

   
E-mil:nao-ing@msb.biglobe.ne.jp


 090-8580-9150(ショートメールのみ受け付けます)



子どもたちを育て合う施設や様々な条件づくり

掲載日:2015-06-17




子どもたちを育て合う施設や様々な条件づくり

掲載日:2015-06-17




「障がい者65歳問題」を考えよう

掲載日:2015-03-21



小林英樹

10/4(土)あいアイ館において行なわれた学習会の報告。

 

 

障害者の生活と権利を守る千葉連絡協議会

 天海(あまがい)正克(まさかつ)

 

 私は50歳すぎまで自分の足で歩き、何の介護も受けていませんでした。その頃は飲んで帰ることが多く、自宅では週1回程度の入浴ですませていました。

2000年頃から、首や足のしびれが多くなり、だんだん手や足の力が弱くなり転びやすくなって、立ちあがってもすぐ転ぶようになりました。

2001年の秋に自宅の2階から階段を転げ落ちたのをきっかけに、実家に転居し、実家では両親と弟がトイレや食事などを介護してくれ、風呂にも入れてくれました。

2002年2月に、横浜の病院に検査入院した時、医者からこのまま尿意も便意もなくなり死ぬのを待つか、手術を受けるかの選択を迫られ、そのまま手術を受けることになりました。首を固定するため頭蓋骨と肩を固定するギプスをはめられ、3月と4月に首の前後から手術して頸椎に金属をはめ神経を通りやすくし、ギプスがとれた5月からリハビリを受けながらやっと週1回のシャワー浴をすることができました。

手術の結果、力もつき声も出せるようになりましたが、自分で歩けなくなり電動車イスでの生活となり、手足のしびれが残ってしまいました。

住宅を改造して2002年11月頃から、措置制度により週2回2時間ずつ千葉市社協のヘルパーを派遣してもらい、衣服の着脱・入浴介助・昼食の調理・掃除・洗濯などで時間におわれ、食事は週2回の昼食以外は外食、電動車いすの生活で運動不足により体重が13キロ増えてしまいました。

2004年から、支援費制度により月・水・金2時間ずつと火・木・土1時間ずつの介護になったので、これにより週3回の入浴と6回の調理を受け、衣服の着替えや外出の身支度もしてもらえるようになりました。

夕食についてはカロリーが低い食事の方が良いというヘルパーの助言で、なじみの飲食店に特注で山菜ぞうすいをつくってもらい毎日食べています。

2005年頃から、介護の時間を増やし、月・水・金2時間半と火・木・土2時間にすることにより週6回の入浴と、野菜を取り入れて昼食と朝食を1日おき交互に調理してもらい、入浴は体を洗ってもらう前と後に10分ずつ湯にひたりゆったりと体をあたためます。

2006年4月から、障害者自立支援法により居宅介護の利用料が1割の応益負担になり、障害程度区分4で月に身体介護40時間と家事援助25時間の計65時間の支給決定され、毎月2万円弱の利用料を払わなくてはならなくなりましたが、全国の障害者団体の団結と運動で、2010年4月から低所得者の利用料が無料になりました。

こうして勝ち取ってまた成果を、年齢により奪うことは許されません。

利用回数の削減や時間の短縮などは断じて受け入れられません。

高齢者に対しての「介護」と、障がい者支援は違います。

「障がい者支援」は、障がい者の生きる権利保障です。

 

65歳問題]

 障害者総合支援法の成立により、障がい者が65歳になると、障害者総合支援法から介護保険法が優先的に適用されることになった。これによって、サービスが低下するのではないかと懸念されているが、自治体によっても対応がまちまちなこともあり、具体的にどのようなサービスが抑制されるかについては不明確であり不透明である。この問題は、障がい者にとって深刻であるにも関わらず、マスコミではあまり取り上げられていない。

 

[討論]

Īさん(目黒区議)

介護保険優先問題と言うのは、区側から提案され、議論される機会は全くありませんでした。この問題が生活福祉委員会の中で議題になったのは、向上させる会が陳情書を提出して、その時、初めて私が介護保険優先問題を取り上げて、論議になりました。議員の中でも、知っている人は少ないと思います。

文献を調べると、これは本当に深刻な問題だと改めて思いました。65歳になると、サービスが削減されていると言われているわけですが、区側にこうした質問をぶつけると、介護保険優先でもその後障害者福祉がついてくるので、目黒区はちゃんと保障してるんだっていうんですね。しかし、それはケースバイケースなので、65歳まで保障されていたことが、その後もきちんとやられているのかっていうのは、なかなかわからないんです。

私が質疑する時一番悩むのは、周囲で具体的にそうした事例がないので、具体的事例にそって質問することができないことなんです。

この陳情は継続審議になっているんで、これからも続いて行きます。具体的なことを教えていただくために、この学習会に伺いました。

 

介護保険第2号被保険者(4064歳で、特定疾患にかかっている人)についての言及があり、それについてもっと詳しく教えてほしいという質問がありました。

以下、会場からの回答です。

 

Aさん・介護保険第2号被保険者であれば、65歳以前でも老人ホームに入れることに一応なってます。しかし、特別養護老人ホームなどは、実際にはそういう人の入所を喜ばない傾向があります。例えば、第2号被保険者の場合、コミュニケーションとかいろいろ難しい問題があって、そういうことが懸念されていると聞いています。

どこに行っても、どうしても「間」(はざま)にある人と言うのが出てしまいます。

しかし、障害だとか、年齢とかじゃなく、もっと一人の人間として何が必要なのかという視点を持たなければいけないと思うけど、まだ現実はそうなってはいません。特に自治体が財政難になると、こういう形式な理由で断ると言うことが起こりがちです。そのようにさせないためにも、講師の先生が言うように、運動が大切なのだということを改めて認識しました。

 

Bさん・介護保険第2号被保険者の場合、例えば車いすについては、介護保険が優先されます。しかし、障害の関係で、どうしてもオーダーメイドが必要な場合には、障害者総合支援法で出す場合もあります。

また、短期入所については、介護保険を優先している自治体が多いように思います。そうすると、マッチしない場合も出てくるので、目黒区の場合、介護保険優先にこだわらないようにしています。東京都と利用提携している入所施設については、第2号被保険者が入所すると、5点減点になります。ただ、これは自治体の判断によって、理由を書けば、減点にしないようにすることもできます。

 

――まだまた話は尽きなく、後日「感想」を書いて下さった方がいるので、ご紹介します。

 

【感想】

昨年あたりから、「65歳問題」という言葉をチラチラ耳にし、漠然と「障害のある人のための現行の介助保障制度は不十分ながら、高齢の人のための制度(介護保険制度)よりはマシである。65歳になったらそれまでよりヒドいサービスを受けざるをえなくなる」ことが問題なのだと理解していました。

しかしお話を聞いて、それ以前に、介護保険制度はどうお粗末なのか、障害のある人の介助保障制度とはどの点で性質が違うのか自分がまったく理解していないことに気づきました。いま必要なのは障害のあるひとの65歳以降について学び声をあげるのではなく、すべての65歳以上の人とその周囲の人について(家族介護の問題もふくめ)知り学び、ともに声をあげることですね。

制度に限らず、差別の問題もそうですが、無意識に押し付けられている分類・種別のワクを取り払って、想像力をフル回転させて同じ人間として同質のものをともに語り求めていく姿勢が、これからますます重要ですよね。

とても刺激的でした。ありがとうございました。(五本木在住・シバヤス)



放射能とは~安全な食生活のために~

掲載日:2013-12-28


 9月8日、学習会として、野口邦和さん(日本大学準教授、福島大学客員教授、福島県本宮市放射線健康リスク管理アドバイザー等を歴任)から、上記演題の講演をして頂いた。放射線被害は、内部被ばくと外部被ばくに大別されるが、結論から言うと、内部被ばくに関してはそれほど心配する必要はない、ということであった。内部被ばくとは、食品等を通じて放射能の影響を受けること意味するが、現在、注意しなければならない汚染濃度の高い食品とは、①山菜、天然のキノコ類、②鳥獣類の肉、③川魚だけである。これらの食品はどれも、現代人の食生活とは縁遠くなっているし、放射線量を検査した上で市場に流通させているため、それほど神経質になることはない。また、福島県の魚の場合、海の魚も汚染濃度が高かったが、福島県の水産物は濃度のいかんにかかわらずすべて出荷を止められているので、市場には全く流れていない。内部被ばくに関しては、次の見方が重要である。

① 基準値はどうなっているか? ② 検査体制はどうなっているか?

①に関して、現在厚労省の基準は、年間線量の上限は1ミリシーベルトとなっている。野口さんは、政府系の学者ではないが、この基準値は妥当なものであると考えている。その際、併せて知ってほしいのは、すでに宇宙線や建築材料に含まれるウランやトリウム等によって、年間2.4ミリシーベルト自然放射線被ばくを受けているということである。また、多くの人が持っている心配として、微量の放射線でも長年蓄積されれば放射線障害がもたらされるのではないか、というものがあるが、この「塵も積もれば山となる」理論は誤りである。あらゆる生物は排泄を行うが、この行為によっていったん体内に取り込んだ放射線物質も体外に排出されるからだ。この吸収と排泄は一定期間(セシウムの場合、約1年)を経て一定の値となり、これを平衡状態と言う。この平衡状態は吸収の際低濃度であれば低い値に落ち着くことになるため、放射線量の低い食品を食べるようにすることはやはり重要である。そのためには、上述の①山菜、天然のキノコ類、②鳥獣類の肉、③川魚、を避け、調理する際に食材を水で十分洗うように心がければよい。一般的な汚れの場合と同様、放射線物質もお湯で洗った方が除去されやすく、例えばおひたしにすると良いが、現在のところ、そこまで神経質になる必要はない。

②に関しては、現在JAでは、以前なら研究機関にもなかったような、精度の高い検査機器を導入して、精力的な検査が行われているので、検査体制についても十分ではないかと思われる。外部被ばくの方がより深刻な影響が出るが、福島県の外部線量もかなり減ってきている。外部線量を減らすには、基本的に除染しかない。除染については、中間貯蔵施設等の問題も残っているが、それを何とか解決して、今後も継続して進めていくしかない。野口さんは、現在の放射能汚染におけるマスコミの過剰報道の問題点を指摘し、それが風評被害となり、被災地の生産者をかえって苦しめることになっていると述べている。野口さんの講演会の数日後、TVの報道番組で野口さんが出ていたので見てみると、発言を切り取られ、野口さんの主張と正反対のことをコメントしているかのように編集されていた。マスコミの一色報道をなんとかしなければならないという思いを改めて強くした次第である。  

(文責:小林 英樹)



被災地から学ぶ

掲載日:2013-12-16


平成25年6月30日、第40回定期総会の公開学習会として、磯部光孝さんから、「被災地に学ぶ」という演題で、講演をして頂いた。 磯部さんは、きょうされん東京支部副支部長、東久留米の社会福祉法人・イリアンソス理事長で、JDF(日本障害者フォーラム)の要請で、宮城県全域に4回、福島県の南相馬で2回支援活動を行い、岩手県陸前高田市で実態調査を行った。 福島県には、2011年4月6日に支援センターふくしまが開設された。まだ行政の動きが乏しい、早い段階だったので、現地の人々から喜ばれた。 また、JDFとして支援に行ったため、支援の対象者は障害をもつ人々に限らせてもらった。その際、一番の壁になっていたのは、個人情報保護法で、南相馬市側は、障害者手帳所持者の氏名、住所等の情報を開示してくれなかった。 一時、市長は開示を認めたのに、職員から拒否されてしまったこともあった。個人情報を開示できない理由として、市側は、災害に乗じた詐欺が起こる可能性がある、障害者であることを知られたくない人がいる、訴訟を起こされる可能性がある、などを挙げていた。 朝日新聞の連載「プロメティウスの罠」で、当時の南相馬市の健康福祉部長の西浦武義氏が、「障害者を救うには個人情報の開示が絶対に必要だ」と主張し、それが反響を呼んだ。そして、西浦氏の努力もあり、従来は個人情報の開示には審議会の判断が必要だったところを、災害時には、担当部署の判断により開示できるよう、条例が改正された。  この改正をもとに、JDFは市長に要望書を提出し、障害者手帳のデータを下に安否確認することの同意を得た。南相馬市は、全国で唯一、民間団体に個人情報が提供され、障害者手帳所持者1139名への調査が実施された。 また、南相馬市で、市から重大発表があるということで、市民に近くの小学校に集合してもらい、次の三つのうち、どれかを選択してほしいという提案があった。  ① 45台のバスで、新潟方面に避難する。(その時点で、具体的な行き先は未定)  ② タンクローリーで1家族10リットルのガソリンを配給するので、自分の車で避難する。  ③ ガス、水道は使用可能にし、市役所の機能も残しておくので、元気な人にはそのまま残ってもらう。ただし、原発が万一爆発した時は自力で逃げてもらう。 しかし、訪問調査を進めていくと、③の残っている人の中に、元気な人だけでなく、障害をもつ人やお年寄りがたくさん残っていることがわかった。 後半は、ドキュメンタリー映画(DVD)の上映会  「生命(いのち)のことづけ-死亡率2倍 障害のある人たちの3.11」(37分)    監督:早瀬憲太郎(「ゆずり葉」監督)    制作:JDF、日本財団    価格:1万円(上映権付)
(文責:小林英樹)


「社会保障と税の一体改革」と「社会保障制度改革推進法」の正体

掲載日:2013-12-16


タイトルに偽りなしということで、二見 清一氏の(足立区中部福祉事務所)講演は、興味深いものであった。 欧米では、法律の文言は日常語に近いらしいが、日本では明治以来、庶民の言葉とはかけ離れた難解な言語によって法律が書かれ、それを官僚が悪用することによって「霞が関文学」なるものが成立してしまった。その結果、役人独特の言い回しや符牒から成る法文の本当の意味は、役人によってしか知ることができないという事態が生まれてしまったのだ。私は、国民の目を誤魔化すような法律は、その難解さゆえに無効にするといった法律を、早く作ってほしいと以前から思っていた。 それはともかく、今回講演して頂いた「社会保障制度改革推進法」もまさにその類のもので、いくら法文だけ見せられても、その本質がどこにあるのか、一般人には全く解しえないといった代物であった。それを二見氏がていねいに解読し、その正体を白日の下に晒してくれた。 例えば、同法冒頭にある「自助、共助及び公助の適切な組み合わせ」などという文言は、一見もっともらしいことを言っているように見えるが、要するに、社会保障の切り捨てということを言っているに他ならないと、二見氏は切って捨てる。野田総理の「社会保障と税の一体改革」では、消費税を上げる代わりに社会保障を充実させるということになっているが、実際には、逆進性の消費税を引き上げ、さらに社会保障まで抑制するといったことになるらしい。 消費税のダークサイドはこの一事にとどまらず、最近の漫才師の不正(?)受給で騒がれている生活保護の問題にまで話が及んだ。いやはや恐ろしい時代が迫りつつあるらしい。

(文責:小林英樹)



障害者制度改革のありかた

掲載日:2013-12-05


  平成24年9月9日、三田の東京都障害者福祉会館において、藤岡毅弁護士による上記標題の講演があった(障都連主催)。藤岡氏は、東京弁護士会 高齢者・障害者の権利に関する特別委員会福祉制度部会会長、内閣府 障がい者制度改革推進会議総合福祉部会、日弁連人権擁護委員会障がいのある人に対する差別を禁止する法律に関する特別部会等を歴任した、いわば障害分野のエキスパートであり、本制度改革におけるキーマンの一人だ。特に、今は、障害者差別禁止法の成立に向けて精力的に活動されており、それが本講演の主要なテーマでもあった。

  まず、開口一番、日本における障害者制度改革が遅々として進まない最大の原因として、広報戦略の不足を挙げた。すなわち、一般国民に知られていない、また、知らせるための十分な努力がなされていない、ということだ。その結果、今までの成果は、せいぜい改善か微修正と言ったレベルにとどまり、到底海外アピールできるだけの内容ではない、と嘆いていた。障害福祉予算は約1兆円もあるのだから、そのほんの一部でも、テレビでのキャンペーンに使っていれば、状況はもっと変わったものになっていたであろう、と言う。

  次に、障害者制度改革の法的構成について言及した。制度改革を担う具体的な個別法として、福祉法、虐待防止法、雇用法、差別禁止法があるが、それらの根源に最高法規としての憲法があり、さらに、国連の障害者権利条約があると指摘する。日本は、2007年にこの条約に署名したが、いまだ批准していない。障害者権利条約は、すでに117カ国、国連加盟国の77パーセントが批准しているにもかかわらず、いまだ批准してない約2割の国々の中に取り残されている。通常署名してから5年以内に批准するというのが暗黙のルールだから、そろそろ決断に迫られているということになる。また、憲法や条約と、個々の実定法をつなぐものとして、昨年改正された障害者基本法(制定は、1970年)がある。

  さらに、藤岡氏自身が関わった障がい制度改革推進会議の経緯について述べたが、これについては紙面の関係上割愛し、差別禁止法について触れたい。まず、差別を禁止するための意識の改革として、ただ抽象的に「差別はダメですよ」と言っても、多くの人々は身近に障害者の友人などはいないので、もっと具体的な形でアピールする必要がある。その意味で、Eテレの「バリバラ」(バリアフリーバラエティ)は面白い。ちなみに、筆者も「バリバラ」の大ファンで、先日のSHOW-1(障害者のお笑いグランプリ)で優勝した、精神障害者漫才は最高に面白かった。

  障害者差別禁止法における「差別」とは、「障害を理由とするあらゆる区別、排除、制限」であり、この中には、「合理的配慮の否定」も含まれる。また差別には、「直接的差別」だけでなく「間接的差別」も含まれる。これはかなりラディカルな定義であり、例えば、次のようなことをさす。雇用における採用条件としての「自力通勤」は間接的差別に該当し、この場合は、ヘルパーによる送迎(すなわち、合理的配慮)も認められなければならない。

  しかし、このような差別概念は、弁護士の間でもほとんど知られていない。また、藤岡氏自身が関わった障害者グループホーム建設への住民の反対運動では、「地価が下がる」「財産権の侵害だ」などと、信じられないような反対理由が住民側から平然と述べられた。意識の壁はいまだに大きく立ちはだかっているようだ。道遠きことを改めて感じながらも、元気の出る講演であった。

(文責:小林英樹)



元気をもらった! 学習会の報告

掲載日:2012-03-24


3/11福井典子さんを講師に招き、「社会保障と私たちの暮らし~障害者総合福祉法は、どうなるのか?」というテーマで学習会を開きました。
私は個人的に福井さんのファンで、「テーマは難しいけれど、きっとおもしろいお話になるだろう」と期待していました。

福井典子さんは重度障害児の母として、まず「養護学校の義務化」の運動に取り組まれました。
福井さんは子どもをおぶっての陳情や要求運動に走り回ったとのことです。
この運動には私の母も取り組んでいましたので、当時の福井さんは存じ上げませんが、母の姿を重ね合わせると、福井さんのご苦労の様子が手に取るようにわかりました。
「障害児の就学猶予、就学免除」を知らない方も多くなってきましたが、
1979年に母親たちを中心にした運動により、重度・重複の障害児も養護学校に入学できるようになったのです。

福井さんは障害のあるご長女を養護学校に入れてからは「兄妹がいた方がいい」と考え、
第二子を出産されますが、双子であったためか、お二人とも軽い障害を持って生まれました。
三人の娘の母となっても精力的に様々な活動に取り組まれる福井さんに対し、
障害当事者から「福井さんは当事者ではないから・・・」と、一線を引かれることもあったそうです。
そんな福井さんが「てんかん」を発病され、「障害者」となってしまいました。
このような状況になったら、たいていの人は落ち込み絶望すると思いますが、
福井さんは、「私も障害当事者として発言ができる!」といって病気を受け入れ、現在は「日本てんかん協会」の理事もされています。
またご主人が認知症になり、数年間在宅で看護と介護をなさっていました。
実は先月末にご主人が亡くなったばかりでしたが、福井さんはそのお悲しみを吹き飛ばすかのように、
ご主人の介護から知った医療現場・介護職の現状も話してくださりました。
どんな状態になってもご自分のもっている力を「運動」にシフトし、突き進む福井さんの生き様に、
私は圧倒されるばかりでした。

東日本大震災と原発事故、
そして復興にはじまり、
貧困と格差、
就職難、
路上生活者、
自殺、
無縁社会、
孤独死、
子どもシステム、
消費税大増税・・・日本が抱える難問はすべて一本の線で結ばれていることを、当事者(生活者)の立場で、わかりやすく説明してくださりました。

「障害者自立支援法」に関しては、「障害者」ゆえに受けざるを得ないサービス、「障害」があっても人間として当たり前に生きるため必要なモノすべてにお金を支払えというのですから、そもそもこの法律が憲法に違反している。
ここをしっかり抑えておく必要があります。

2005年に自立支援法が成立しますが、
2006年に国連の障害者権利条約採択後、
2009年には全国で71人の原告が「障害者自立支援法違憲訴訟」をお越しています。
(これは「自立支援法」が障害者の権利を脅かすモノである証です)
その後2010年には弁護団と国とが「基本合意書」を結び、国は2013年8月に自立支援法を廃止し、新法実施へと動き始めました。障害当事者も含めた「障がい者制度改革推進会議・総合福祉部会(55名)」を設置。
その中に福井さんも加わっていらっしゃいます。
2011年8月、総合福祉部会は「骨格提言」をまとめました。
その後すべての障害者団体が一つになり、2011年10月、「日本障害者フォーラム・JDF」が主催となり、日比谷公園で1万人人の集会が行われ、大成功をおさめました。
日本の福祉水準は先進国の中で最低と言われていますが、今まで運動してきた私たちは「今度こそ! 当事者の力で新法が作れる」と期待しました。

しかし2012年2月に発表された「厚労省案」には、「骨格提言」の60項目中、3項目しか取り入れられていませんでした。
私たち当事者の運動は何だったのでしょう?
福井さんたち推進会議は何のために設置されたのでしょう?
またしても「国」は私たちを裏切ろうとしています。
「厚労省案」の中には何回も「可能な限り」という文言が出てきます。
このようなあいまいな表現を使って「新法」を成立させようとしている国に、私は怒りよりも失望を感じています。

私だけでなく、落胆している仲間たちへ、福井さんはエールをくださいました。(要約)
●決してあきらめない運動の展開を! 運動は裏切らない。
●憲法を暮らしにいかす。
  被災地の復興を例に取ると、国は被災者たちに頑張らせ、ボランティアや義援金を募っていますが、 国としての 明確な「復興策」は立てていません。
「自助努力」や「共助・支えあい」はもちろん大事だけれど、日本の場合「公助・国の施策」が一番後になっています。国は国民の命を守る義務があるのに、その責任は果たしていません。障害者施策も同じこと。
公的責任の強化が必要です。「権利」として社会保障を考えましょう。
●財源問題の解明。予算はある! 大事なのはお金の集め方と使い方。
消費税が3%~5%になって福祉の予算が増えたか振り返ってみてください。もし消費税が10%になっても、変化はないでしょう。
●利用者と介護労働者が連携し、労働者の処遇改善とサービスの向上をしていかなければなりません。
●地域と自治体に密着して運動を展開させましょう。政策的提案を具体的にしていきましょう。
●子育てに追われる母親が家にいて世論を動かすこともできます。新聞やテレビを見て、よい報道、間違った報道に気がついたら、電話やファックスを送るだけでも、世論を刺激することにつながります。直接行政に投書するだけでも「改革のきっかけ」になります。
●ひとりはみんなのために、みんなはひとりのために。たたかいなくして豊かな社会保障制度はありません。

今回の学習会には会員ではなく若いお母さんたちの参加が目立ちました。
前回の学習会同様「保護者会の連絡メール」で呼びかけてもらったのです。
福井さんのお話の後、フロアー発言も活発で、ほぼ全員がアンケートに感想を書いてくれました。
付き添いのヘルパーまでもが「勉強になりました」と言ってくれました。
一般会員の参加がなく誠に残念でしたが、今後につながる会となり、主催者としてうれしく思っています。
私も一参加者として、福井さんからたくさん元気をいただきました。ありがとうございました!



学習会の報告と感想

掲載日:2011-10-26


私たちの会が他の障害者団体と大きく異なる点は「障害者問題」にとどまらず、
「社会保障」という広い視野で要求運動に取り組んでいるところです。
10/16(日)あいアイ館において学習会・「目黒区の障がい児保育の成り立ちと現在、そして未来」は、
社会保障の基本を学ぶ機会にもなったと思います。

講師は目黒区立保育園で保育士をされてきた丸山麻利子さんと、
同じく学童保育クラブ指導員の伊藤三枝子さん。
お二人とも現役は退職されましたが、現在も長年の経験を活かし、活躍されています。

目黒区は全国に先駆けて障がい児保育(統合保育)を進めてきました。
「保育園では1974年~、学童保育クラブでは1982年~ 統合保育がスタートした」となっていますが、
現場はそれ以前から障がい児を受け入れていましたし、保育士(指導員)が子どもの「障がい・病気」に気がついたケースもあります。
目黒区の保育レベルは全国的にみてもトップレベルといわれていますが、
保護者(母親)の切実な要求を職員たちが受け止め、制度化を進めた成果なのです。

◎ 障がい児の保育を振り返って・・・丸山さん
障がい児を保育園で受け入れての保育は試行錯誤しながらの実践。
専門家を招いての研修会も積み重ねました。
その子(障がい児)の発達に配慮しながら指導するのは当然ですが、
クラス全体の子ども(健常児)も関わりあいながら、みんなが育っていく保育環境を作ることが大切です。
担任だけでなく、園全体でその障がい児の姿、周囲の健常児との関わり合いや成長過程を伝え合ってきました。
職員だけでなく、保護者の方々にも、伝える工夫をしました。

政府は現行の保育制度を廃止し「子ども・子育て新システム」に変えようと検討を進めています。
この「新システム」にはいくつもの問題点がありますが、行政による保育実施義務がなくなり、
利用者が事業者と直接契約を結ぶことになます。
利用料は応能負担になります。(介護認定と同じく「保育認定」される)
つまり、保護者は働きながら小さな子どもを抱えて事業所(保育園)を探して回らなければなりません。
利用料が応能負担ということは「手の掛かる子・障がい児」に関してはオプション料金になるのです
(給食・おやつ・オムツ・アレルギー食の類)。
「障がい児」でなくても、例えば経済的な事情で「オムツ換えは1日○枚までにしてください」と言う保護者が出てくる可能性もあります。
保育時間も個別契約となるので「遠足」のような行事を実施するのはむずかしくなるし、
日常的にも登園時間が個々に異なると、集団保育ができにくくなります。
職員体制も子どもの契約時間にあわせ「非正規化」がすすみ、保育士の入れ替わりも多くなると予想され、
「保育の質」に影響が生じてきます。
事業所(保育園)も収益を上げるために、「手の掛かる子・障がい児」は受け入れなくなるという危惧があります。
「新システム阻止」に向けて、全国の保育関係者を中心に運動を広げています。


◎ 学童保育の歴史・・・伊藤さん
1960年代は、高度成長を支えるために「働く母親」が急増、更に核家族・ひとり親家庭の増加、交通事故が増えたり子どもの遊び場が減少、非行の低年齢化といった社会環境が悪化した時代でした。
子どもたちの安全や健やかな成長を願う親たちの要求から「学童保育クラブ」はつくられてきました。
保育園と学童保育クラブの違いは「入所は親の選択であるが、通所してくるのは子ども自身である」という点です。低学年の子どもで保護・養護を必要としているのですが、自分の意志で家に帰ってしまったり友達と遊びに行ってしまうむずかしさがあります。
目黒区では1968年にひもんや・中町に学童保育クラブが誕生。
指導員の常勤化、1クラブ3名の職員を配置。
公設公営の学童保育クラブには全て父母会があり、指導員とともに「目黒区学童保育クラブ連絡協議会」を作り内容の充実を図ってきました。
1982年に正式に「障がい児保育」がスタート。当初は「1クラブ2~3名まで受け入れる」というあいまいな点もありましたが、
1989年に障がい児を受け入れの基準が制定されました。(児童館併設学童保育クラブでは3名受け入れる。障がい児1名に対し1名、3名に対し2名の非常勤職員を配置など)
学童保育クラブは小3までとなっていますが、障がい児の親から「せっかく集団生活ができるようになったのに、
小4からの放課後生活はテレビづけになってしまう。延長できないだろうか・・・」という要求があり、
小6まで延長可能になりました。(小3まで指導員としか遊べなかった障がい児が、小4になった途端に仲間同士の遊びができるようになった例もあります)
学童保育クラブだけで「統合保育」に取り組むのではなく、併設している児童館でも「あそびのつどい・障がい児の遊びの場」を設けました。
(障がい児は登所の際、ヘルパーやボランティアに頼むケースが多くなりました)
保護者会主催のキャンプや区主催の連合スポーツ大会に、障がい児も自然な形で参加していると思います。
クラブでの様々な活動を通して子どもたち(健常児)の方が先入観なく「障がい」を受け入れているようです。
その子どもたちの絆は大人が思う以上に強く、成人しても続いていると感じています。

《まとめ・感想》
保育園にも学童保育クラブにも共通することは「保護者・利用者」の要求を受け制度ができ、
職員とともに切磋琢磨しながら内容を充実させてきたということです。
そして「保育」とは将来の社会を担う子どもの健やかな成長を保障すると同時に、
現在の社会の担っているおとな(保護者)の就労支援につながっていることを再認識しました。
現在の日本社会にはさまざまな問題がありますが、例えば「雇用」だけを取り上げて論ずるのではなく、「働ける環境作り」や「人材育成」など、広い観点と長いビジョンで考えなければいけないと思います。
フロアーから「マスコミは新システムの良い所ばかり報道して、全容を報道していない」との声が上がり、
かたよった情報しか知らなかったことを反省しました。
「制度・システム」は上から押し付けられるものではなく、当事者の要求から作り出すものでなくてはならないと、痛感しました。

最近ネットを使って会のお知らせを流していますが、今回は「目黒区学童保育クラブ連絡協議会」の連絡網(ML)でも宣伝していただき、障がい児の保護者だけでなく「学童保育クラブ」の保護者の方が参加してくださりました。
障がい児・者の問題を「みんなの問題」として勉強することができ、大変うれしいです。
ご協力いただいた皆さんに感謝申し上げます。



目黒区の障がい児保育の成り立ちと現在、そして未来

掲載日:2011-10-04


目黒区は全国に先駆けて障がい児保育(統合保育)を進めてきました。

しかし保育園や学童保育クラブが民営化されるようになり、

積み重ねられてきたものが崩壊しないか・・・という危惧もあります。

今回の学習会では目黒区立の保育園・児童館・学童保育クラブで

長年統合保育に携わられてきた、元・学童保育指導員と

元・保育士の方からお話をうかがい、

障がい児保育の今後について考えていきたいと思います。



★ 10月16日(日) 1時半から3時半頃まで

★ あいアイ館 視聴覚室

http://www.meguro-fukushi.jp/facilities/aiai/index.html



★ 参加費無料

★ 申し込みは当日参加も構いませんが、障害者の方の送迎申し込みは10/9まで。

「保育室」はありませんが、お子さん連れも可です。