掲載日:2020-02-02
「最近、小柴さんはどうされているかなー」と思っていたところ。
すでに亡くなられたと聞き、とても残念です。「弔辞」銘打って、小柴さんの
とんでもない武勇伝の数々を語りたい人は大勢いるのに・・・
人は知れず逝ってしまって「こしばーさん、ズルイよ」。
私と小柴さんとはちょうど30才違いますが、自宅が近く共通の知り合いもおりましたので、プライベートでも親しくさせていただきました。
小柴さんに初めてお会いしたのは、私が赤ん坊の頃のようです。祖母の話によると、
「尚子を負ぶって渋谷に行ったら、ハチ公前広場で演説している女の人がいた。どうやら尚子と同じ病気らしい。言語障害が重くて何言ってんだかわからなかったけれど、一生懸命しゃべってた。勇気をもらった。あれの人はスゴイ!」とのこと。
それが目黒の障がい者のリーダー、「小柴さん」だったのです。
昭和30年代、健常者でも女性がハチ公前で演説するのは多くなかったでしょうから、祖母には小柴さんが「ジャンヌダルク」のように見えたのかもしれません。
成人した私は「障がい者運動」に参加し、ハチャメチャな小柴さんに振り回されましたが、祖母は常に小柴さんびいきで、
「小柴さんのことを悪く言ってはいけないよ。尚子たちが『当たり前』に暮らせるのは、小柴さんたち先人のお陰なんだよ」と言っていました。そして「尚子も小柴さんのように頑張りなりなさい」としめくくるので、「イヤだー! 頑張るにしてもほどがある。障がいがあっても、節度のある生き方をしろー」と、私は心の中で叫んでいました。
しかし今になってみると、若い頃の私は「健常者のペースに合わせること」を「節度ある生き方」と考えていた気もします。小柴さんはどんな場合も「当事者ファースト」でした。それが時として「ハチャメチャ」に見えましたが、体当たりで社会を切り拓いていたことに間違いありません。
前号でご紹介したとおり、小柴さんは勉強家でもありチャレンジャーでもありました。
不自由なからだで台所に立ち「天ぷら揚げて、大やけどした」とか・・・
電動車椅子で風をきっていたら「停まっていたバイクにぶつかり大ケガをした」とか・・・
自爆的なことをされ、災難に遭うこともよくありました。
小柴さんはクリスチャンなので天国に行かれたはずですが、神様とケンカしていないか心配です。どうぞ穏やかに、私たちを見守って下さい。ご冥福をお祈りいたします